2013年7月6日土曜日

「可能性は0じゃない」って言い方を真に受けるとろくなことはないよ。

可能性は0じゃない!?

チャンスは誰にでもある!という平等論がまかり通っているために
不幸なことが起きていることがしばしあるのではなかろうか?

例えば、最近の就活事情を見てみると100社エントリーで採用無しなんては話もチラホラ。
「誰にでも平等に門戸を開いています」という会社のタテマエがある為、
自分の身の程を知らない会社にもエントリーする。なんせネットでエントリーできる時代だから
エントリー数を増やすのは簡単だ。

学生は「可能性は0じゃない」と思っている。万が一も100社受けたら、100分の1の確率、スロットの大当り引くより確率が良いのではないか?などと思っているのではなかろうか。

確率なんて言葉を出すから勘違いが始まるのであって、結果というのはオールorナッシング。
受かるか受からないしかないのである。あとちょっとで受かりそうだったは何の励ましにもならない。
結果が全てである。むしろ3次4次審査なんて受けた分、時間の無駄でしかない。

また、最近の「ブラック企業」なんて言葉が流行っている分、優良(と言われている)企業に人気が集中するのではなかろうか?「この会社の求人倍率は10倍かぁ10人に一人の狭き門だな、でも可能性は0ではない」と言ってエントリーをする。
確率論で言えば10分の1なんて思っているかも知れないがそれは、応募者が全て同等の評価の場合である。

数打てばあたると思っているかも知れないが限りなく0に近いものは、0でしかなく。100個受けるよりは、目的の企業に受かるための努力をする方が賢明である。もちろん自分の身の程を知った企業選びをしたうえで。

オリンピックの100メートル走に出る機会があったとしよう。自分以外が転倒すれば金メダルを取る確率は0ではない。しかし普通に考えてあなたが金メダルを取れるはずがない。その能力がないからだ。何種目に出ても同じである。

それが、就職というフィールドになった時点で判断つかなくなっているのである。

当然チャレンジすることを否定するわけではない。
ただ、100社受けることはチャレンジとは言わない。

彼女が欲しいので100人に声をかけるだろうか?
好きな子に振り向いてもらう為の努力をするのではなかろうか。

大事なのは身の程を知ること、知った上でどうするかを考えることである。




















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